娘が保育園を卒園しました。
娘が生まれた時、既に母は他界していたので、父と弟と主人と、男たちに囲まれて慣れない子育てに右も左も分からない状態でした。
そんな時でも、有難いことに生徒が途切れることなく、保護者や近所のおばちゃんやシッターさんに助けてもらいながらなんとか仕事を続けてこれました。
娘が一歳になった頃から、少しずつセミナーや執筆のお仕事をいただくようになり、二歳になった頃にコンクールの審査や連載のお仕事をいただくようになり、だんだんといただくお仕事が増えてきました。
それまでは、娘を私の目の届くところに居てもらいたかったのですが、仕事が増えたこともあり、大人に囲まれてばかりではなく、同世代との関わりも必要なのでは?と、二歳を過ぎた頃に保育園に入れる決心をし、この保育園で約4年間お世話になりました。
娘の名前は、バッハが言った
「音楽は世界共通の言葉であり翻訳される必要がない」という言葉から、
たとえ言葉が通じなくても、住んでる国が違っても、ピアノを弾けば世界中の人たちと心で繋がることができる。
そんな想いを込めて名付けました。
名前の通り、誰とでも仲良くなれて、知らない子にも自分から話しかけてすぐに友達になれる、明るい子に成長しました。
次は小学生です!